はじめまして
心理カウンセラーの二兎(したながうさぎ)です。
現実の問題に打ちのめされている
どうしていいかわからなくて立ち往生している
社会に合わせるのが疲れた…など
生き辛さを感じやすい方々が、安心して生きる事ができますように。
誰もが持っている本来の輝きを取り戻し、
その方らしく生きられる方法をみつけるためのカウンセリングをしています。

あれこれ考えすぎて
本音を呑み込んでしまうことはありませんか?
我慢をためこんでいませんか?
心に押し込めたもやもやは、あなたの本来の輝きを曇らせてしまいます。
私自身は身近な人に本音を話すことがとても苦手でした。
聞いた人が暗い気持ちにならないか、愚痴ばかり聞かせてしまっていないかと、
話せたとしても本音を誤魔化したり笑い話にしていました。
そんな時に助けになったのが、遠慮なく本音を吐き出せるカウンセラーさんたちの存在でした。
今、誰にも言えず苦しんでいる事があったり、心がざわついていたり、
こんなことを思ってはいけないと自分を抑えていることがあるなら、
思い切って吐き出してみませんか?
話をして心を整理するうちに、新しい道が拓けてくるかもしれません。

クライアントとカウンセラーの相性や信頼関係はとても大切だと思っています。
傷ついてきたからこそ、簡単に心を開けないということもあると思います。
私のカウンセラーとしての想いやこれまでの道のりを知っていただいた上で、
あなたの大切な心の内を話してもいいと感じて頂ければ嬉しいです。
長いので年代ごとに目次にしています。
もし興味を持っていただけたら読み進めてください。
(過激に感じられる表現があるかもしれません。トラウマがある方や苦しくなりそうなら戻ってくださいね)
HSPの生き辛さや不器用さをこじらせて、自ら負のループに飛び込んでいった私の失敗、それらがひとつでも読んで下さった方の糧になれば幸いです。

プロフィール目次
【幼少】
1.生まれた時から神経過敏
2.理由のない劣等感、子どもらしくない子ども
3.HSP、説明できない心の中、誰とも心が交わらない
【小学生】
4. 自分を抑えて…爆発し解放する
5. 劣等感をこじらせ、家族のトラブルメーカーになっていく
6. 我慢をやめたら誰にも合わせられなくなった
7.「傷ついてない振り」が本物になっていた頃
【中学・高校生】
8. どこにも属していない感覚と充実したひとり時間
9. 期待されると壊してしまう
【短大生~:トンネルの入り口】
10. 世界を一変させた元夫との出会い
11. 人格の破壊、鎧を叩き壊される
12. 束縛とDV、異世界へ入る
【21歳~深みへはまる】
13.「私」はもういない
14. 義実家での同居、夫の幼少期を察する、共依存
15. 複雑性PTSDとうつ病:腹の底で何かが叫んだ
16. モラハラが激化、生きてるだけで原因が量産
17. 「笑わせろ」という地獄の時間
18. 「返品しろ」という地獄の時間
19. 宗教…思考を縛ったもう一つの理由
20. 「いつかは終わる」と自分に言い聞かせてやり過ごす
【30代後半~好転への兆し】
21. 古い友人に見つけ出される
22. 「自分で歩け」負のループから抜け出す
23. 心を誤魔化すアイテムが必要なくなった
24. 前へ進むための痛み、調停と裁判で5年を費やす
25. 自分のペースで呼吸ができる幸せ
【今:トンネルを抜けた先の世界】
26. 振り返ってみえるもの、種明かし後の安堵
27. 自分の物語を自分で描くということ
【心はあなたを待っています】
幼少
1. 生まれた時から神経過敏 umaうa
私は大阪で古くからの商売をしている家に、両親と祖父母、3人兄弟の長女として生まれました。
父はひょうきんで自由人、母は真面目で家族を支える芯の強い人でした。
何度も聞かされたのは、生まれた時から神経過敏で育てにくかったこと。
寝ない、食べない、泣いてばかり。
今思うと幼少時代からHSPの繊細な気質はよく表れていました。
家族は皆マイペースで少し浮世離れしたところもありましたが、家の中は安全、その分心の免疫力は弱く外の世界は危険だと感じていました。

2. 子どもらしくない子ども、理由がわからない劣等感
幼稚園に入るとすぐ、自分が非常に傷つきやすく、劣等感が強い事を自覚しました。
でも目立ちたくないので人前で泣いたり駄々をこねる事はほとんどありませんでした。
苦手な遊びもたくさんありました。
例えば、「花いちもんめ」。
仲間で相談して相手チームの子を「あの子が欲しい」「この子が欲しい」と取り合うのですが、
人気があって何度も呼ばれる子と呼ばれない子が出来てしまいます。
気疲ればかりで全然楽しくありません。
子供の正直さは怖かったのですが、みんなと同じようにならなければとも思っていました。

3. HSPの説明できない心の中、誰とも心が交わらない
子供なので感じてることを上手く説明できず、
話したとしても大抵「それがどうしたの?」「気にしすぎ」という反応が返ってきます。
「みんなそんな事言ってないよ」と。
説明すればするほど自分がおおげさで、わがままを言ってる気がしてきました。
言葉が届かない、想いが伝わらない。
誰とも心が交わらない感覚が積み重なり、「自分が我慢すればいい…」と考えるようになりました。
そのうちわかり合えないのが普通だと思うようになりました。
家族から愛されていることはわかっていたし、私も家族を愛していましたが、
愛される事と、心が通い合う事は別物だと感じていました。

小学生
4. 自分を抑えて…爆発し解放する
小学校でもボソッと蚊のなくような声しか出せず、通知表には「もう少し声を聞きたかった」と書かれるほど静かでした。
先生にも誰にも話しかけられないよう、目立たないように隠れていたり、内心ビクビクしていることを悟られないよう平然を装ったり、感覚を研ぎ澄ましながら感覚を押さえつけるというわけのわからない事をしていました。
低学年の登校中、突然学校へ行くのをやめました。
いつもは曲がらない角を曲がり、通学路を外れて知らない道をどんどん進みました。
身体が学校へ行くことを拒絶したのですが、その瞬間はとても気持ち良く、解放感でいっぱいでした。
そうやって時々押さえつけてるものを爆発させてバランスをとっていました。

5. 劣等感をこじらせ、トラブルメーカーになっていく
みんなと同じようにできない劣等感や、傷つきやすさの理由を探し、
友達の家の親子や兄弟間の激しいやり取りを知るうちに
私の弱さの理由は、「世間の荒波にもまれていないから」だと考えるようになりました。
私は「声を荒げる」「相手を罵る」という事をほとんど知りませんでした。
すると同じ環境にいる妹や弟の事も心配になりました。
男の子たちの激しいけんかを見ると、大事にされている弟が心配でたまりません。
私のように幼稚園や学校で苦労しないようにと、年の離れた弟に辛く当たるようになりました。

弟が傷つかないための予防策のつもりでしたが、親からはいじめてるようにしか見えません。
当然怒られますが心配の方が勝るので、やめるわけにはいきません。
乱暴な言葉を真似て、私なりに弟を鍛えようとしていました。
家族にとって私は「弱いものにストレスを発散する困った子」になっていきました。
弟からすれば迷惑な話です。
そうやって様々な事を勝手に思い込んで先回りし、空回りしては家族内のトラブルメーカーになっていきました。

6. 我慢をやめたら誰にも合わせられなくなった
4年生までは隠れるように過ごしていましたが、5年生になると人の顔色を伺う事にも疲れてきました。
家での厄介者扱いが意外と心地良いことに気付いてしまい、これを反抗期というのかわかりませんが、学校でも問題行動が増えました。
誰もいない静かな通学路が気持ち良く、時間通りに学校に行かなくなりました。
6年間欠かさず日記を書くという宿題があったのですが、書かなくなりました。
皆の前で怒られて叩かれたり立たされても平気になりました。
母は私を一生懸命理解しようとはしてくれましたが、私の説明も意味不明ですし、優等生だった母にとって「普通の事が普通にできない」の意味がわからず苦しんでいました。
この頃から本来は理性的な母が感情的に怒るようになり、手が出る事も増えましたが同時に「兎を理解できない」と泣いていました。
父は私を「あいつは変なやっちゃ(奴や)」と言いながらも「あいつを理解できるのは自分だけ」と言わんばかりに味方になろうとしてくれていました。
7.「傷ついてない振り」が本物になっていた頃
クラスではいじめが横行していましたが、その輪の中には入りませんでした。
ボスのような女の子たちから呼び出され、「〇〇と手を切れ」と命令されても、「意味がわからない」ととぼけて従いませんでした。
正義感というより、そんな事を命令される意味がわからなかったのです。
ボスの命令に従わず、扱いにくいと思われていたため、私も何度かターゲットにされました。
でも、もともと一人でいることが多く、幼稚園の頃から「傷ついていないふり」をすることに慣れていたので、平気な顔がいつの間にか本物のようになっていました。
それが自分を守る術になっていて、実際に深く傷つく事もありませんでした。
中学、高校生
8. どこにも属していない感覚と充実したひとり時間
中学でも先輩に嫌われたり、同じような事が何度も起こりましたが、「兎は無視しなかったから」と近くに来てくれる子が出てきてくれました。
期待をしていたわけではないですが、このような繋がりはとても温かく嬉しく感じました。
…とはいえ、クラス、グループ、部活、家族…どこにいてもどこにも属していない感覚は拭えません。
寂しいような気はする、でも大勢といると無意識に気を使って疲れる。
お菓子作り、読書、パッチワーク、カメラ、エレクトーン…結局、一人が一番安心できる時間でした。
偏差値や内申点、受験にも全く興味を持てませんでしたが、
「あしながおじさん」や「赤毛のアン」に憧れ、主人公が勉強に打ち込む姿を真似て、「勉強している自分」にはまる事がありました。
それはある意味アンたちに救われましたが、
学歴、競争、受験戦争や就活…それぞれの年代で直面する大きな流れに乗り切れないまま、
とはいえ大きく脱線する勇気もないまま、ふわふわと中途半端なところにいました。
9. 期待されると壊してしまう
高校はしがらみのない遠方の校則の厳しい女子高に行きました。
入学早々、なぜか担任から「期待してるわよ」と言われ、風紀委員に推薦されたり、みんなの前で妙に持ち上げられることがありました。
風紀を乱す側の自覚があった私は、「先生は何をみてるんだろう?」と居心地の悪さを感じ、わざと期待を壊すような行動をしていました。
「あなたがそんな人だとは思わなかった」と冷たく言われましたが、それでいいと思っていました。
自分を押し殺す息苦しさは幼少期から感じていたので、もうそんな思いをしたくありませんでした。期待されることなく怒られている方がずっと楽でした。
とはいえ、少しでも油断すると相手のペースに巻き込まれやすい自分を自覚しており、だからこそ空気は読まない努力が必要であり、誰かからの期待や向けられる敵意や負の感情にも、気付かない振りをしていました。
空気を察して流されそうになる自分と、
流されたくないという正直な気持ち、その両方の間でいつも葛藤を抱えていました。
そして成人が近づくにつれ、「このままでは社会でやっていけない」という不安が強くなりました。
当時はまだ仕事の出来に加えて従順さや愛嬌が期待されることが多く、上司に気に入られたり飲み会を盛り上げるなどの対人スキルが重視された時代です。
何をしても不器用な自分が、社会や組織の中でうまく立ち回れるとは思えませんでした。
「自分を変えなければ」という未来への不安が負のループへの入り口となりました。

短大生:トンネルの入り口
10. 世界を一変させた元夫との出会い
10代の終わり、友人を介して3歳年上の元夫と出会います。
彼はすでに仕事で独立し、コミュニケーション力、ハングリー精神、どこででも生きていけそうな強さなど、私が持っていない多くのものを持っているようにみえました。
しかし根底には強烈な「怒り」のエネルギーが溢れていました。
初対面で「危険」「住む世界が違う」と感じたので、私の人生に長く関わるとは夢にも思っていませんでした。
11. 人格の破壊、鎧を叩き壊される
気付けば彼が毎日説教をしに来るという不思議な関係になっていました。
人の期待や私を甘やかす言葉からは逃げていた私ですが、彼は初めから怒ってばかりだったので調子が狂って逃げるタイミングを逃してしまいました。
自分を変えたかった私は、耐えられるところまで耐えてみよう、いざとなれば離れたらいいと考えていたのです。
その考えこそが本当にどこまでも甘く、世間知らずでした。
彼は私の外出や交友関係、身なり、考え方や行動にことごとく口出しし、全否定していました。
彼の言ってることはもっともらしく聞こえる事もあるのですが、ずい分おかしな主張もありました。
「俺に媚びろ!」と何度も言われました。
「俺を腫れ物のように扱え!」とも。

「…えぇ…?」
「言われてからやっても遅い!」「言われる前にやれ!」…と言われても頭も身体も動きません。
フリーズしてると「何かはよ(早く)言え!」とさらに責められますが…身がすくみ、言葉が何も出てきません。
ある日、とうとう張り詰めていた糸が切れ、泣き崩れてしまいました。
「傷ついていない振り」の鎧を叩き壊された瞬間でした。
所詮、「振り」なので中身はもろいのです。その後は土足で踏み荒らされていきます。
その日をきっかけに抵抗する気力を失い、好きな事をやめ、言われるがまま友人たちとも離れました。
「連絡しない」と直接宣言させられた人もいました。
本、漫画、音楽の趣味嗜好、当時抱いていた夢を「気持ち悪い」「お前に何が出来るんだ」と何度も言われ、楽しかったはずの時間も黒歴史として自分を強く否定、封印するようになりました。
そして彼との関係は実家と縁を断つまでに発展してしまいました。
私は彼の指南通りに家の中で暴言を吐き、家族みんなの心をえぐるような言葉を投げつけ、手を付けられない状態になりました。
両親は当然、それは「兎の言葉」でないことはわかるので何とかしようとしてくれたのですが、私の精神、思考は何とも出来ないところまで侵され、父はこのままでは一家全員が壊れると判断しました。
実家を出る事になり、あっという間に世界は一変しました。

12. 束縛とDV、異世界へ入る
実家を出る前から始まっていたDVは、同棲、結婚と進む中でどんどんエスカレートしました。
景色が灰色に変わり、時間の流れが変わり、世間の人とはみえない壁で遮られているように感じました。

21歳~深みへはまる
13. 「私」はもういない
痛みも恐怖も悲しさも悔しさも何も感じたくありません。
「私は〇んだ」と思う事にしました。
「もうどうでもいいや」
なぜこんな所にいるかさえ考えたくありませんでした。
実際に実家では私の痕跡をなくすという作業をしてたそうです。
私の名前は禁句になり、写真は私が持ち出した数枚を残して処分されました。
まさかそこまでするとは思いませんでしたが、それだけ私が家族に与えたダメージが大きかったという事です。特にいつも味方でいようとしてくれた父に。
21歳、それまでの私を知る人が一人もいないという環境が出来上がりました。

暴力の理由は初めは束縛や嫉妬心でしたが、次々変わってくるので何でも良かったのだと思います。
彼は逆上しながらも急所を避けていて、大怪我をさせないなど冷静な部分もありました。
感情的な暴力の場合、後で優しくなったり謝るという行動に出る事が多いですが、彼の場合は制裁やしつけという名目だったため、感謝を要求されました。
思考を縛られ逃げる選択肢がない中、籍を入れたら、子供が生まれたら…
状況が変化するたびに何か変わるかもと微かに期待するのですが、
「これが底辺」と思っていた底はまだまだ深くなりました。

14. 義実家での同居、夫の幼少期を察する、共依存
一人目の娘の出産直前に、彼の実家での同居が始まりました。
夫と二人でいるのが怖かったので、お義母さんやお義父さんがいれば息子の暴力を止めてくれるのではないかと期待しましたが、それも甘い考えでした。
登場人数が増えれば、問題は何倍にも増えました。
義母が夫に「鍋を洗ってない」など私の文句を言い、夫は義母の前で私を土下座させます。
正座している私を蹴るので義母は一応止めに入りますが、その状況を作るのはいつも義母なのです。
母と息子、時々父と…親子げんかになると怒号が飛び交い家の中はぐちゃぐちゃになりました。
夫は本棚を倒したり物を投げたり…次々破壊するのですが、義母の勢いも止まりません。
現実感がなく映画を観ているようでした。しかし映画なら数分ですが、毎日何時間も続くのです。
私は娘を抱いて、この罵り合う言葉を聞きませんようにと耳を塞いでいました。
夫は一度だけ「この状況を一緒に味わってほしかった」と言いました。
幼い頃から理不尽な扱いを受けてきた事は察するに余りありました。
「強い女性たち」に頭ごなしに押さえつけられ、腕力が逆転した時に何が起こったかも想像できました。
夫は友人の前では育った環境を笑い話のネタにしていましたが、実際に体験するととても笑えるものではありません。
幼い頃からそうやって笑い飛ばす事で本音の「怒りや悲しみ」を抑えてきたのかもしれません。
同居以降夫への印象が変わり、むしろこの環境でよくがんばったとさえ思ってしまいました。
これが結果的に共依存に繋がってしまったのだと思います。

15. 複雑性PTSDとうつ病:腹の底で何かが叫んだ
二人目の娘が1歳を迎えるころ、突然お腹の深い所から大きな叫び声が聞こえました。
25歳、複雑性PTSDとうつ病の発症です。
それまで夫の前で泣いたり、パニック発作のような表現は火に油を注ぐだけなので、極力押し込めていました。
しかし比較的穏やかな時間が続いたある日、腹の底に溜まった感情が火山の噴火のように一気に溢れ出てしまいました。
その日を境にパニック発作は激しい頭痛になって現れました。
食べれず眠れず、又は眠ってばかりで立ち上がる気力もありません。
3歳と1歳の娘の育児は待ってくれないので、とにかく動けるようになる薬を出してくれと訴えました。薬の影響や後先のことなんか考えられず、「今」動けるようにという事しか考えていませんでした。
その時の先生は思い返すととても良い先生で、「強い薬を」という私の訴えを冗談でかわし、「あなたの場合、薬を飲んでも改善しないよ」と言っていました。
一時避難のように精神病棟への入退院を繰り返しましたが、義実家に預けた娘たちが気になり気が休まる事はありません。
私にとって娘たちが唯一の生きる意味であり、守りたい対象であり、一緒に成長を楽しみたかったので、うつ状態で寝込んでばかりで身体が動かない事がもどかしくてたまりませんでした。
通院は10年以上続きました。

16. モラハラが激化、生きてるだけで原因が量産
モラハラ思考とDVの組み合わせは最悪です。
夫は怒らせる方が悪いという主張を繰り返し、こちらは「自分が悪い」と思うよう教育されてしまいます。
そして隠しようがないほどどんくさい私は、生きてるだけで怒られる原因を無限に生み出してしまいます。(賞味期限を切らす、何をどこに置いたか忘れる、電気を切り忘れる…など)
無駄が嫌いな夫は、一度怒り出すと何時間も止まりません。
本来なら「怒る時間こそもったいない」と思うのですが、モラハラ的な思考のもとでは、それさえ私のせいにされてしまいます。
夜中の3時4時まで説教が続き、「明日仕事、寝不足、どうしてくれるの?どう責任とるの?」とさらに責め立てるのです。
「知らんがな」と言いたいところですが、当時は言えませんでした。
17. 「笑わせろ」という地獄の時間
困ったことに怒鳴りながら「俺を笑わせろ」と言うのです。
フリーズしている私に「笑わせて機嫌を取れ」と。

(ほんまなんなん?この人…)
「耐える」だけでは乗り切れない時間、
わずかに残る尊厳やプライドや屈辱感など色んなものが粉々になりました。
18. 「返品しろ」という地獄の時間
ある時インフルエンザで隔離中の夫が暇だろうと思い、勝手にDVDを借りて帰ったのですが、
「観た事がある、もったいないから返してこい」と言い出しました。
DVDはコピーの問題で返品や交換が出来ないことは承知の上で、
「無駄なお金と時間を使った」と、返品しにいくまで怒りは止まりません。
怒りが止まらないと、私や娘たちの大切なもの、思い出の品を次々に破壊していきます。
要求を断り切れず、その都度返品や交換の交渉をしに行きました。
夫に従ってしまったことは何の言い訳もできませんが、関係ない人たちまで巻き込むのは本当に苦しくて仕方ありませんでした。
もちろん言い分が通るわけがありませんから、返品したと嘘をつく事もありました。
日常的に怒られないための誤魔化しや嘘をつきすぎて、何が本当で何が嘘かわからなくなりました。
当然ですがそれらはすぐにばれて、恐怖の時間に発展してしまいます。
食べられないものを食べさせられる、ない物を探し続けさせられるなど、「行動」を強いるハラスメントは、「今この瞬間殺してくれ」と願わずにいれないほど、生きる気力を根こそぎ奪っていきました。
19. 宗教…思考を縛ったもう一つの理由
義母はある宗教に関わっていました。夫は私が義母と勉強するよう勧めました。
その組織は規律が厳しく、私がそこに在籍することは夫にとって都合が良かったのです。
規律に同棲の禁止(男女1対1で同じ空間にいてはならない)がありました。
早々に入籍した理由はそんな所にもありました。
おまけに離婚や自らの命を絶つ事の禁止もありました。
宗教活動は私にとっても都合が良かった部分もありました。家から出られる口実になり、組織の人との交流はさほど文句を言われなかったからです。
一般社会のルールより細かく厳しい規則がたくさんある組織でしたが、夫のルールの方がよほど厳しかったので、窮屈さは感じませんでした。
校則でさえ守れなかった私ですが、組織の人たちに言われるがまま地味で控えめな装いや言葉遣いをし、「きちんとした真面目な人」となるよう心がけていました。
元の私は本当にいなくなっていました。

20. 「いつかは終わる」と自分に言い聞かせてやり過ごす
このような環境なので娘も精神的に不安定になり、スクールカウンセリングや市の心理療法に連れていきました。
夫について(心に問題があるのではないか?)と本を読んだり、皆の精神状態の改善を期待してアロマセラピーの学校へ通うなど前向きに試行錯誤していました。
しかし一方で「早く終わらないかな」と「寿命が尽きる」ことを待っていました。
「明日の朝、目を覚ましませんように」と何度も祈りました。
夫と出会って世界が変わった日から約20年。
どれだけ泣いたかわからないし、何度も「もういいか」と思いました。
娘たちのために…と踏ん張りはしますが、それさえ命綱に思えないほど心も身体もすり減っていました。
30代後半~好転への兆し
21. 古い友人に見つけ出される

夫に言われるがまま「連絡出来ない」と宣言し断ち切った友人の一人がFBで連絡を取ってきました。
その方は本業とは別に、社会からはみ出した人たちの更生や支援をしていました。
近況など適当な言葉を並べ報告しましたが、その方には私の嘘や誤魔化しはお見通しで、
昔とは別人になったことはすぐにメッセージの文面から察することが出来たようでした。

22. 「自分で歩け」…負のループから抜け出す
その方が投げかけたいくつかの言葉が、自分を見直すきっかけになりました。
家から逃げ出したい気持ちはありましたが、現実的には無理だと思っていました。
夫の元で得られる居・食・住を手放すこと、
健康、社会復帰への不安。
何より夫に盾つく恐怖感と、共依存からくる夫を見捨てるような罪悪感。
それらの壁はあまりにも高く乗り越えられるはずがないと思っていました。
長年のモラハラによって『自分は何もできない役立たず』という強い刷り込みと、『あの夫には私が必要』という相反する思い、
おまけに宗教上の教えまで加わった何層もの思い込みが根深く刻み込まれおり、それらを打破する気力はありませんでした。
自分に言い訳して動き出せない私に、その方は「自分で歩け」と言いました。
一瞬とても厳しい言葉に聞こえたのですが、
「自分で歩け」という言葉が頭と心をぐるぐる巡りました。
「自分で歩く」とはどういうこと?
私はどうやってここまで来た?
ーどうせ死ぬことばかり考えているなら、多少無茶しても怖くないんじゃないかー
それらを真剣に考えているうちに、今まで高いと思っていた壁がさほど高くはないように思えてきました。
弁護士を探し、仕事を探し、新しい住居を決め、娘たちとペットも連れて…
2015年、20年目にしてようやく別居に踏み切りました。

23. 心を誤魔化すアイテムが必要なくなった
別居と同時に精神科への通院も薬も必要なくなりました。
宗教生活も終わりました。
おまけにサプリや健康飲料も一切摂らなくなりました。
生活の一部になっていたそれらは、本来の私に不可欠なものではなく摂らなくても何の問題もなかった事に気付きました。

24. 前へ進むための痛み、調停と裁判で5年を費やす
別居から調停、裁判を経て離婚成立まで丸5年。
裁判には多くの労力がかかるとは聞きますが、これはもう本当に大変の一言でした。
そしてその労力は報われるとは限りません。
世の中には警察に相談しても何ともならない事もたくさんあるし、
「裁判」ってなんだろう?と疑問符が付く事も多々ありました。

結果的に娘たちやペットたちとも離れる事になり、負のループから抜けたからといってすぐに平安が訪れるわけではなく、経済的な負担も大きく実際には多くのものを手放さなければなりませんでした。
「経済的に安定し、義実家も健在」な夫に対し、「通院歴があり実家に頼れない」私。
娘たちと離れる事は全く考えていなかったので、心の回復には相当時間がかかりました。
そうして痛みを伴いつつも、私は私の人生の一歩を踏み出せました。

25. 自分のペースで呼吸ができる幸せ
誰かの顔色をみなくていい、息を殺したり、怒られないための嘘をつかなくていい。
何でも自分で決める事ができる。
普通に生活するだけの事が、どんなにありがたいかを知る事ができました。
自分のペースで呼吸ができる。
ただそれだけの事。
ずいぶん遠回りしてとてもシンプルな場所に帰ってこれました。

今:トンネルを抜けた先の世界
26. 振り返ってみえるもの、種明かし後の安堵
後になってHSPの特質を知り、心理学や精神世界を通して自分に起こった事を振り返ると、みえてなかったことがみえてきました。
潜在意識の仕組みや使い方を知ると、自分がなぜ悪循環に陥ったのか理解することが出来ました。
そして無意識に使っていた力は、今後は意識的に使うことが出来る事も知りました。
今は映画を観終わったような、手品の種明かしをみたような、ほっとした感覚です。
そして種明かしを見る前と見た後では世界がまるで違ってみえます。
たとえこの先、一時的に心を揺さぶられるような事が起こっても、感情を支配されることはありません。
一度手品の仕掛けを知ってしまえば、仕掛けを知る前と同じように驚けないのと似ています。
何度も諦めようとした命。プレゼントのような今の時間。
せっかく頂いた「これからの時間」を、誰かのために使いたいと思うようになりました。
生き辛さや不安を抱える人たちが、もっと楽に生きられる方法がある。
どん底にいた私が、メンターから直接伝えてもらったそれらを、今度は私が伝えていきたいと思っています。
私が暗いトンネルから見つけ出してもらえたように、
自分で抜け出る勇気をもらえたように、
その後も自分で歩き続けられるように。
今この瞬間も、誰にも相談できず声を殺して泣いている人がいるなら、とんで行きたいと思っています。

27. 自分の物語を自分で描くということ
「お互いに敬意を持ち
お互いを想い合える
やさしい人たちが心から安心して生きられる世界を」
これが私が創りたい世界です。

私たちは自分の物語を今この瞬間から意識的に描く事ができます。
ちょっとしたコツさえ知ってしまえば。
知らず知らずのうちに受け身で進んできてしまった自分の物語、
たとえそれがどんなに気に入らない物語だと思えたとしても、
その中にこの先繰り広げられる素晴らしい展開への
大切なヒントが散りばめられています。
ヒントを見つけるには、どれだけ深くその物語を読み解けるかが鍵になります。

あなたはあなたの物語を、この先どんな展開にしたいですか?
あなたが創りたい世界はどんな世界ですか?
「あなたの物語を大切に…」

心はあなたを待っています
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
置かれている環境、問題の大小は関係ありません。
あなたが感じた小さなもやもや、違和感は聞き逃してはいけない心からのサインです。
大切な心の声を「こんなことで…」なんて思わないでくださいね。
心はいつもあなたに何かを伝えようとしています。
吐き出すだけでもすっきりします。
話したい事がまとまってなくても大丈夫です。
気楽にお話しをしにきてくだされば嬉しいです。
今、心を重くしている問題から解き放たれたい方も
もう少し先へ進んでみたい方も。
小さな、でも勇気ある一歩を。
お会いできることを楽しみにしています。
あなたの本来の輝きを取り戻すための心理カウンセラー
二兎
(したながうさぎ)

あなたとあなたの大切な人たちが、優しく安心できる世界で生きられますように。
カウンセリングってどんな事をするの?
カウンセリングっていっても何を話せばいいかわからない。
何をするの?気になるけど不安…。
そんなあなたへ…お気軽にお試しください♪
