プロフィール

はじめまして

心理カウンセラー二兎(したながうさぎ)です。

あなたがあなたらしく安心して生きることができるように

あなたの輝きを取り戻すためのカウンセリングをしています。

誰かの気持ちを察したり、あれこれ考えすぎて

本音を呑み込んでしまうことはありませんか?

我慢をためこんでいませんか?

心に押し込めたもやもやは、あなたの本来の輝きを曇らせてしまいます。

私自身は身近な人に悩みを話すことがとても苦手でした。

個人的に抱えていた主な悩みは、家庭内の人間関係や健康問題、とても重くネガティブな内容でした。

そのため聞いた人が暗い気持ちにならないか、愚痴ばかり聞かせてしまっていないかと気を使い、

話せたとしても本音を誤魔化したり笑い話にしていました。

そんな時に助けになったのが、遠慮なく本音を吐き出せるカウンセラーさんたちの存在でした。

今、誰にも言えず苦しんでいる事があったり、心がざわついていたり、

こんなことを思ってはいけないと自分を抑えていることがあるなら、

思い切って吐き出してみませんか?

抑えた想いを整理するだけでも、とても心が軽くなることを実感できると思います。

クライアントとカウンセラーの相性や信頼関係はとても大切だと思っています。

傷ついてきたからこそ、簡単に心を開けないこともあると思います。

私のカウンセラーとしての想いやこれまでの道のりを知っていただいた上で、

あなたの大切な心の内を話してもいいと感じて頂ければ嬉しいです。

もし少しでもご興味を持っていただけたら読み進めてください。

プロフィール目次
【幼少期】
1.生まれた時から神経過敏
2.HSPの説明できない心の中、誰とも心が交わらない

【小・中・高校生の頃】
3. どこにいてもどこにも属していない
4. 「自分を出す」という意味がわからない
5. 社会で生きていけないと思い込む

【短大生:トンネルの入り口】
6. 世界を一変させた元夫との出会い
7. 悪循環、過去が黒歴史に変わる

【21歳~結婚と共依存】
8. DVとモラルハラスメント、景色と時間の流れが変わる
9. 義実家での同居
10. 複雑性PTSDとうつ

【仕事や生活の事】
11. 花や植物、好きな事がみつかる
12.家族の心身の改善にとアロマ心理学を学ぶ

【30代後半~好転への兆し】
13. トンネルから抜け出す決断
14. 調停と離婚裁判

【トンネルを抜けた先】
15. 振り返ってみえるもの、種明かしの後

16. 私が創りたいのは「やさしく安心できる世界」
【お会いできる事を楽しみにしています】

私は大阪で商売をしている家に、両親と祖父母、3人兄弟の長女として生まれました。

父はひょうきんで自由人、母は真面目で家族を支える芯の強い人でした。

何度も聞かされたのは、生まれた時から神経過敏で育てにくかったこと。

寝ない、食べない、泣いてばかり。

今思うと幼少時代からHSPの繊細な気質はよく表れていました。

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幼稚園に入るとすぐ、自分が非常に傷つきやすい事を自覚しました。

引っ込み思案の私の様子を両親は心配していましたが、子どもなので感じてることを上手く説明できません。

話したとしても大抵「それがどうしたの?」「気にしすぎ」という反応が返ってきます。

話せば話すほど自分がおおげさで、わがままを言ってる気がしてきました。

言葉が届かない、想いが上手く伝えられない。

誰とも心が交わらない感覚が積み重なり、「自分が我慢すればいい…」と考えるようになりました。

家族から愛されていることはわかっていたし、私も家族を愛していましたが、

愛される事と、心が通い合う事は少しちがうんだなと感じていました。

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3. どこにいてもどこにも属していない感じ

友達と仲良くしているようでも、いつもどこにも属していない感覚がありました。

クラス、仲のいいグループ、部活動、習い事、家族の中にいても。

自分だけがそうなのか、みんなも同じように感じているのか、その答えの確かめ方がわかりません。

今では「そういうもの」と受け入れていますが、当時はどこで誰といても地に足がつかないような不安定で落ち着かない、ふわふわした居心地の悪さを感じていました。

4. 「自分を出す」という意味がわからない

4年生まではボソッと蚊のなくような声しか出せずにいました。

意見を求められても思考が止まってしまい、言葉が何も出てきません。

5年生以降は適度に周りに合わせる事が出来るようになりましたが、自分の意見を主張するのは得意ではありませんでした。

周りの様子をうかがったり頭の中で会話をしたり、神経は使っているのですが、ボーっとして何も考えていないように思われることが多かったです。

軽く扱われたり、冗談の中に意地悪な気持ちを感じる事もありましたが、怒ったり言い返すより我慢して波風を立てない方が楽だと思っていました。

いつも自分を抑えていたので、一人になった時の自分に戻れる時間は貴重でした。

この辺りもHSPの特徴が出てるなと思いますが、こんな自分を好きだと思えず、みんなと同じようになりたいなと思っていました。

5. 社会で生きていけないと思い込む

普通の事が普通に出来ないという劣等感やコンプレックスは、成人が近づくにつれて「このままでは社会でやっていけない」という大きな不安になりました。

実際の仕事もコミュニケーションも、社会や組織の中でうまく立ち回れるとは到底思えません。

「自分を変えなければ」という未来への不安がその後の負のループへの入り口となってしまいます。

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6. 世界を一変させた元夫との出会い

10代の終わり、友人を介して3歳年上の元夫と出会います。

彼はすでに仕事で独立し、コミュニケーション力、ハングリー精神、どこででも生きていけそうな強さなど、私が持っていない多くのものを持っているようにみえました。

しかし根底に強烈な「怒り」のエネルギーを感じたため、第一印象から「危険」「住む世界が違う」と感じていました。

この出会いが私にとって、大きな分岐点になったと思います。

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7. 悪循環、過去が黒歴史に変わる

気付けば彼が毎日説教をしに来るという不思議な関係になっていました。

彼は私の考え方や行動を全否定していました。

自分を変えたかった私は厳しい言葉を投げかけられても、耐えられるところまで耐えてみよう、いざとなれば離れたらいいと考えていたのです。

好きな音楽や漫画などの趣味嗜好、服装などの外見、学校選びや将来の夢や交友関係…。

門限が早い事など家の事情まで否定の対象になりました。

私は当初は彼の主張を鵜呑みにしていたわけではなく、言われたくない事は抵抗していました。

しかしある日、とうとう張り詰めていた糸が切れ、泣き崩れてしまったのをきっかけに、心を守っていた鎧を叩き壊されてしまいます。

抵抗する気力を失い、その後は心の中を土足で踏み荒らされるがままになりました。

人格否定の言葉は楽しかったはずの過去の時間も黒歴史に変えてしまいました。

好きな事をやめ、言われるがまま友人たちとも離れました。

彼との関りは実家と縁を断つまでに発展、完全に孤立し、あっという間に世界は一変してしまいます。

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8. DVとモラルハラスメント、景色と時間の流れが変わる

実家を出る前から始まっていたDVは、同棲、結婚と進む中でエスカレートしていきました。

景色が灰色に変わり、時間の流れが変わり、世間の人とはみえない壁で遮られているように感じました。

痛みも恐怖も何も感じたくありません。

この頃は「私はもういない」と自分を誤魔化しながらやり過ごしていました。

この先約20年、様々な問題を抱える事になります。

サバイバーとしての体験談は、必要に応じてブログなどで少しづつ書き足そうかなと思います。

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9. 義実家での同居

一人目の娘の出産直前に、彼の実家での同居が始まりました。

夫を止めてもらえるかも…という淡い期待がありましたが、それは叶いませんでした。

登場人数が増えれば、問題は何倍にも増えました。

義実家はいつも誰かがけんかしている状態で、私も日常的に巻き込まれていました。

夫は一度だけ「この状況を一緒に味わってほしかった」と言いました。

幼い頃から大変な思いをしてきたことは察する事ができました。

私に対する怒りや暴言も、彼にとっては大したことがないものだったのかもしれません。

夫は友人の前では育った環境を笑い話のネタにしていましたが、実際に体験するととても笑えるものではありませんでした。

同居以降夫への印象が変わり、むしろこの環境でよくがんばったとさえ思ってしまいました。

これが結果的に共依存に繋がってしまったのだと思います。

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10. 複雑性PTSDとうつ

25歳、次女が1歳を迎えるころ、複雑性PTSDとうつ病と診断されました。

その日を境に頭痛や無気力など、多くの症状が出てきました。

3歳と1歳の娘の育児は待ってくれないので、とにかく動けるようになる薬を出してくれと訴えました。薬の影響や後先のことは考えられず、「今」動けるようにという事しか頭にありませんでした。

一時避難のように精神病棟への入退院を繰り返しましたが、義実家に預けた娘たちが気になり気が休まる事はありません。

私にとって娘たちが唯一の生きる意味であり、うつ状態で寝込んでばかりで身体が動かない事がもどかしくてたまりませんでした。

通院は別居するまで10数年続き、不健康で調子が悪いというのが私の当たり前になっていました。

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11. 花や植物、好きな事がみつかる

そんな生活の中で、突然好きな事に出会うことができました。

暗い灰色だった私の世界が、突然彩りを取り戻した瞬間です。

短大卒業後、私は正社員として事務員をしていましたが、出産を機に退社していました。

28歳頃、すでにうつを患っていた私はリハビリがてら妹の勤務する生花店でアルバイトをさせてもらうことができました。

元々花に興味があったわけではなかったのですが、花や土を触ってるととても元気になってくる事に気付きました。

自分のために花を買ったり、小さな鉢植えが増え、季節ごとに種や球根を植えるのが楽しみになりました。

自分で活けた花を写真に撮る、背景にこだわるなど、興味の幅がどんどん広がっていきました。

本格的に花の仕事をしたくなり、後に個人で店を運営する事を目標に、結婚式場でウェディングブーケや会場を飾り付ける仕事に就きました。

2008年~アートフラワーのネットショップを始めます。

体調を考慮してアートフラワーに。

色を合わせるのも好きでした。

幸い、花に関しては夫から否定されることはありませんでした。

「好き」に没頭できる時間や、お客様に喜んでもらえる充実感、辛い時間も花の存在に守られていたと思っています。

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12. 家族の心身の改善にとアロマや心理学を学ぶ

とはいえ、ささいな事で激高する夫との生活は、緊張の連続でした。

夫や義実家との関係、娘たちや私自身の事、皆が安定する方法はないかととたくさんの本を読みました。

みんなの心と身体の改善を期待し、アロマセラピーを学ぶなど、前向きに試行錯誤しますが…。

一方で「早く終わらないかな」と「寿命が尽きる」ことを待っていたのも事実で、今日は何事もなかったと安心しても、明日はどうかわからないという綱渡りのような日々でした。

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13. トンネルから抜け出す決断

夫に言われるがまま「連絡出来ない」と宣言した古い友人がFBで連絡を取ってきました。

その方は本業とは別に、多くの人の更生や支援をしていました。

悩む人、迷った人を長年みてきているので、いくら取り繕っていても私の甘えや表面的な誤魔化しは通用していませんでした。

その方から投げかけられたいくつかの言葉が、自分を見直すきっかけになりました。

家から逃げ出したい気持ちはありましたが、現実的には無理だと思っていました。

夫の元で得られる居・食・住を手放すこと、

健康、社会復帰への不安。

夫に盾つく恐怖感と、共依存からくる夫を見捨てるような罪悪感

それらの壁はあまりにも高く乗り越えられるはずがないと思っていました。

自分に言い訳して動き出せない私に、その方は「自分で歩け」と言いました。

一瞬とても厳しい言葉に聞こえたのですが、

その後も「自分で歩け」という言葉が頭と心をぐるぐる巡り続けました。

私にとって人生の最優先は、「夫を怒らせない事」「被害を最小限に抑える事」になっていました。

「私は私の人生を生きてると言えるかな」

自問自答を繰り返すうちに、今まで高いと思っていた壁がさほど高くはないように思えてきました。

弁護士を探し、身を隠すためにショップを終わらせ、新しい仕事と住居を決め、娘たちとペットも連れて…

2015年、約20年目にしてようやく別居という行動をとることができました。

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14. 調停と離婚裁判

別居から調停、裁判を経て結果的には娘やペットたちと離れる事になりました。

それは全く想定していなかったため、心の回復には相当時間がかかりましたが、

痛みを伴いつつも、私は私の人生を自分で歩き出す準備ができました。

誰かの顔色をみなくていい、息を殺したり、怒られないための嘘をつかなくていい。

何でも自分で決める事ができる。

自然と体調も良くなり、普通に生活するだけの事が、どんなにありがたいかを実感しました。

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15. 振り返ってみえるもの、種明かしの後

後になってHSPの特質を知り、心理学や精神世界を通して自分に起こった事を振り返ると、みえてなかったことがみえてきました。

結婚生活においては、勉強させてもらった事がたくさんあったということにも気付きました。

今は映画を観終わったような、手品の種明かしをみたような、ほっとした感覚です。

そして種明かしを見る前と見た後では世界がまるで違ってみえます。

たとえこの先、一時的に心を揺さぶられるような事が起こっても、感情を支配されることはありません。

一度手品の仕掛けを知ってしまえば、仕掛けを知る前と同じように驚けないのと似ています。

何度も諦めようとした時間。プレゼントのような今の時間。

せっかく頂いた「これからの時間」を、私は誰かのために使いたいと思いました。

私が暗いトンネルから見つけ出してもらい、

現状から抜け出る勇気と、歩き続けるための知恵を伝えてもらえたように。

今この瞬間も、誰にも相談できず声を殺して泣いている人がいるなら、とんで行きたいと思っています。

「あなたは決して一人ではありません」

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16. 私が創りたいのは「やさしく安心できる世界」

「お互いに敬意を持ち

お互いを想い合える

やさしい人たちが心から安心して生きられる世界を」

これが私が創りたい世界です。

他者を思いやれるやさしい人たちが、これ以上悲しい想いをしないように。

適切に心を守りながら…温かい気持ちを失うことなく…。

やさしい人の周りには、お互いを想い合えるやさしい人で溢れるように。

安心して自分らしさを発揮できる世界、それを拡げていきたいと願っています。

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ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

置かれている環境、問題の大小は関係ありません。

あなたが感じた小さなもやもや、違和感は聞き逃してはいけない心からのサインです。

大切な心の声を「こんなことで…」なんて思わないでくださいね。

心はいつもあなたに何かを伝えようとしています。

吐き出すだけでもすっきりします。

話したい事がまとまってなくても大丈夫です。

気楽にお話しをしにきてくだされば嬉しいです。

いま、心を重くしている問題から解き放たれたい方も

自分とは何なのか?

自分はなぜここにいるのか?など

さら深く根源的部分に触れてみたい方も。

小さな、でも勇気ある一歩

お会いできることを楽しみにしています。

あなたの本来の輝きを取り戻すための心理カウンセラー

二兎

(したながうさぎ)

あなたとあなたの大切な人たちが、優しく安心できる世界で生きられますように。

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カウンセリングっていっても何を話せばいいかわからない。

何をするの?気になるけど不安…。

そんなあなたへ…お気軽にお試しください♪

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